当たり前が当たり前じゃない

年始の地震と航空機事故。

突然に奪われる日常に心が痛む2024年のはじまり。



当たり前が当たり前じゃない。



知っているはずなのにどこか棚上げしていたような

「今一度ちゃんと考えろよ」というメッセージかもしれない…



今ある生活

住む家があってご飯が食べられて

寒ければエアコンのスイッチを入れて暖かくなる部屋

顔洗って、歯を磨いて、お化粧して、水も電気もある

タオルや歯ブラシ、化粧品だって簡単に手に入る。



車で出かけて仕事をして給料が入ってくる

ご褒美だと外食したり

長々とスマホでネットサーフィンし布団にもぐって眠る。



全ての色々が、ある日突然に失われる
そんな日が自分にも来るのかもしれない…



今ある生活に、本当に感謝の日々だなと思う。



被害に遭われた方へは

祈りを捧げることと、わずかな募金ぐらいしか思いつきません。



胸が痛む

ですが一緒に落ち込み続けるのも違和感なの。



どうか一日も早く穏やかな生活にと

応援の気持ちと心を寄せていること

そして私に何ができるだろうかと思いを馳せつつ…



自分の生活圏で誰かのお役に立てるよう

準備や学び活動をと考える…そんな年末年始を過ごしました。



なんとなく生きるのもいい

ほっこり幸せを感じるのもいいね。

けれど

しっかり考えたいことは曖昧にせずに

自分の想いに誠実に選択し、人として向上していきたい。



限りある命だ

そして備えよう。



話は変わるが

私が中1の時、父親が死んだ。自殺だった。



なんの前触れもなく突然のことで

悲しみを感じるよりも衝撃とぼうぜんで

実感もなかった。



新しい母子家庭の生活をこなしていく。



自分の感情がどこか遠くへ行ってしまっていたのかな?

涙もでなくて

私は冷たいやつなのではないか…そんな風に思っていたりもしていた。



ただそれは後になって気づくのだが

悲しみは後からやってきて



その当時は父が亡くなったことより、母の憔悴の方が心配だったのだ。



お通夜やお葬式の準備、様々な手続きで多忙の中で

母は父方の身内に、ずいぶんと責められていたらしい。



泣いた後の顔の母(悲)



子どもながらに、何かあったのだろうと感じることはあっても

泣き顔を隠そうとする様子に、何もできることはなく…時は過ぎていく。



生きていくために母は外へ働きに行くようになり

「学校から帰れば、家に母がいる」

そんな当たり前が消えてカギっ子になった。



温かいご飯を用意してもらえる生活から、作り置きされたご飯を食べる生活へ。

父が育てていた花壇は少しずつ枯れていく

自営していた店舗の片付けで、消えていく品々

使っていたトラックもいつの間にかなくなっていた。



煙草を買いに行くおつかいも…もう頼まれることはない(悲)



当たり前が当たり前じゃない



何かぽっかり穴の開いた感じでいて重たいもの…それが何なのか

中1の私はまだ理解できていなかった。



大人になっていくにつれて気づいたことは

中1の頃なりに、死への恐怖もあったし

寂しさや悲しさ、不甲斐なさ、喪失感もあったということ。



言語化できないからこそ…理解もできなかった感情。
感情を言語化することができるかどうかが、子どもと大人の違う部分かもしれないね。



思い出したことがもうひとつ。

母が2年ほど前に体調を崩したとき

死を意識したゆえに「死ぬ前に言っておきたい」と

いくつか遺言のように語ったことがある。



実家のこと、金銭的なこと

お葬式のこと、死への恐怖

関係を拗らせている息子(私にとっては弟)の行く末の心配。



だんだんと涙ぐみながら絞り出す想い…



そして私には

「あんたには感謝しとる」

「あんたがおってよかった」

「あんたのこと大好き」



もーこれは泣くよねーーーお互いに…



「私もお母さん大好きだよ」

喉がつまる感覚を味わいながら、震える声で私も伝えることができた。



母がこんなふうに、遺言のように語らなければ

私も一生…言えなかっただろう




当たり前が当たり前じゃない

それを感じた時

人はグッと飛び越える何か

気づきや行動の変化がおきるものかもしれない。



新年早々…感じたこと思い出したこと

忘れないようにブログに残して2024年がスタートです。



あなたの気づきや想い

忘れないように、どんな言葉を残しておきますか?

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