怒りの奥にあるもの
母は弟に長年怒っている。
高校中退から就職したものの、嫌になって逃げるを繰り返し、その尻拭いをずっとしてきたからだ。
迷惑ばかりかけてきて、定職にもつかずフラフラしていたが、やっと最近落ち着いてきた。
そんな弟49才に、もう大人だからほっておけばいいのに、やっぱり心配で電話してしまう母。
結果、ああいえばこういうの口答えで、いつもケンカ別れしている。
私のいうことなんて聞かないから「あんたがなんとかして」と母が言う。
いやいや。もう学習しよう。
距離を置くしかないと思うよと説得するようにしている。
昔は間に入って仲をとりもとうと頑張ったこともあったけれど…
ずーーーーーっと平行線だから私も匙を投げたのだ。
親子でも「仲良くなくてもいい」そう思っている。
もちろん、いつか気持ちが通じ合う時が来るといいねとは思っているけれどね。
そんな関係が長く続いている親子関係。
一昨年ぐらいに母は体調をくずし、死を身近に感じて、遺言のように想いを語ることがあった。
「弟のことを頼むわ」と泣く母。
怒って愚痴ばかりだけど…あぁ本当は愛しているんだなと感じた。
そんな母に「うんうん分かってる」と返す。
言葉を発しながら喉が詰まる。私も泣きそうだった。
それでも、ここは吐き出してしまった方が楽になるハズとカウンセラーモードで
「他に言っておきたいことある?」と母に聴く。
しばらく沈黙が続いたあと…
絞り出すように母は
「私が悪い。私があの子を追い詰めた」
「私が死んだらダメなお母さんでごめん。恨んでいいから。って伝えて---」
と号泣したのだ。
「えーーーちょちょちょっと待て」
「いつも弟が悪いと怒っていたよね??」
想定以上の本音にびっくり仰天。
怒りの奥にあるもの。
母自身の後悔、悲しみ、罪悪感、苦しみ、切なさ、痛み…色々なものが垣間見えました。
私自身も、母に怒っていた時期があります。
私が中1の時に父を亡くし、母がひとりで生計を立てるようになりました。
仕事や身内の愚痴を聞かされ、家事を指示され、息抜きにと夜に出かける母。
夜ご飯は用意してくれるものの、食事を一緒にすることなく出ていく姿を見送る。
連日の3個下の弟とのお留守番。
当時はそんな母を理解しようとして、自分の気持ちは封印。
我ながら健気だったなー
成人してから、ふつふとと怒りが湧いてきて、塩対応で仕返ししてきた。
当時は何が嫌で怒っているのか、うまく言語化できていなかったから、態度に出してた私。
実家を離れて一人暮らし。
ある時、お花屋さんの母の日企画で、ひとことメッセージを添えてのアレンジフラワーが当たる懸賞応募に応募した。
まさかの当選。メッセージは
「お母さん嫌いって思うこともあったけど、これからも見守ってください」と書いていた。
まだまだ怒りの方が大きくて「嫌い」と思ったことを伝えたかったのと、
「見守って欲しい」は、ごちゃごちゃ言うなよ的メッセージだった。
当たらないだろうと思っていたので、お花が届く母の日に向けて冷や汗たらたら。
母の元に、当選したお花がメッセージと共に届けられる。
電話がかかってきて「メッセージ読んだ。ごめんね」と言われたあの日。
嬉しかった。自分の想いが届いたと感じた。
そして、本当の自分の気持ちは、寂しかったり不安だったり…
姉として頑張っていることに気づいて欲しかったのだと把握できた。
「ごめんね」に、そっけなく「うん」としか答えられなかったけれど、私の怒りが小さくなったのを感じた。
怒りの奥にあるもの
そこには「本当はわかってほしい想い」が隠れてる。
それはちょっとカッコ悪くて恥ずかしい。
誰にも知られたくないような想いかもしれない。
私たち本当は素直に愛したいし愛されたいのだ。
そして、言葉にできたり、伝えることができて、
受け取ってもらえたと思える反応があれば、わだかまりは昇華される。